権利の請願

「それじゃあ、私は一体どうしたら良いのですか」

 石畳に座り込んで、途方に暮れた顔で少女は言った。投げ出した足は擦り傷だらけで、スカートも裾がすり切れている。イェンはそれを目を眇めて観察しながら、くわえていた煙草を地面に落とした。

「俺はこれ以上面倒事に関わる気はない」

 靴底で煙草をもみ消して、少女に背を向ける。
 確かに家も身よりもない少女を放り出していくのは非情だろうが、そもそもイェンは各地を転々とする、流れ者の盗人だ。根城を持っているわけでなし、少女にしてやれることは何もない。
 まあ、この気候なら外で寝ても死ぬことはないだろうし。底辺を生きる流れ者らしくそう考えて、歩き出す。

「えっ、待ってください! ちょっと!」

 弱った外見から想像も付かない声量で少女が叫んで、イェンのズボンの裾をつかんだ。
 布を引く力も案外強くて、イェンは寸でのところで体制を立て直して少女に向き直る。

「……何だ」
「だって私、お屋敷の外に出たこともないんですよ!」
「知らん。自分でなんとかしろ」

 表通りからは外れているが、それなりに人通りのある道ばたである。注目を集めるのは職業柄まずい。何しろ、先ほど盗みに入ったばかりだ。まだ発覚してはいないだろうが、人の記憶にはできるだけ残りたくない。
 しかし足を振っても肩を押してても、少女の手が離れない。疲れたのか途中で反対の手に持ち変えはしたが、その間も一切の隙がない。実はこのナリで傭兵上がりじゃないだろうなと物騒なことを考えて、イェンは顔だけポーカーフェイスのまま、イライラと煙草に火をつける。
 見た目だけは追いすがるか弱い少女なので蹴るわけにも行かず、仕方なしに少女の前にしゃがむと、ようやく手が離れた。
 視線を合わせて、できるだけ声に怒りが出ないように努める。煙がかかるのは勘弁してほしい。

「あのな、残念だが俺にも家はないし、お前に施してやれるだけの金もない」
「え? はい」
「……それが分かってるなら、分かると思うが、お前にしてやれることは何もないんだよ」
「……なるほど」

 少女がうつむく。なるほど、なるほどと低い声でぼそぼそと呟いていて、控えめに言ってもちょっと怖い。何しろ体も服も全身ボロボロなのだ。だいぶ奇怪じみている。
 じりじりと距離を取ろうとすると、少女の細い腕がガバリとイェンの腕を抱き込む。怖い。

「あなたは、私が助けていただいた上、貧乏人にたかろうとする恩知らずだと、そう思っていらっしゃる訳ですね」
「いや、別に貧乏人ってほどではねえけど」
「少なくとも! 恩人にたかろうとする恥知らずだと! 思っていらっしゃる訳ですね!」
「……」

 思っているけど、思っていると言ったら腕のひとつも折られそうな雰囲気である。いや、行く宛のない状況で人を頼ろうと、恩知らずとも恥知らずとも思わないが。
 ええと、どうだろうな。言葉を濁すと、少女が不満げに腕に力を込めた。

「なあ、折れそうなんだが」

 恥を忍んでイェンが言うと、ほんの少し力が弱まる。まだ折れそうなんだが、それは言ったところで無駄だろう。顔をそらして煙を吐き出す。今日は空が青い。

「……街を、案内していただきたいんです。少しだけ、一時間だけで構いません」
「俺だって十日前にここに着いたとこだ。案内なんて出来ねえよ」
「宿と店と、分かる所だけで良いんです。この身なりのままではあの家の者に見つかってしまう」
「……」

 少女は、今日イェンが盗みに入った先で働かされていた奴隷の少女だ。
 この国では奴隷が合法なので、つまり、イェンがあの家から盗んできたもののうちのひとつだった。更にいうと、イェンのそもそもの目的は奴隷の解放なのだ。生きて行くにも物入りなのでいただく物はいただくけれど、金を稼ぐだけなら屋敷に忍び込むより安全な方法はいくらでもある。
 イェンには盗みの才能しかないが、それでも、一人でも、救えるものなら救いたい。
 空いた手で頭を撫でてやると、ようやく腕を掴む力が揺るんだ。ごわごわした、指通りの悪い髪だった。
 離れてはくれなかったが、まあ仕方ない。
 この少女は二十九番と呼ばれていたらしいが、他に奴隷らしき者はいなかった。奴隷商のつけた番号か、それとも。

「案内が終わったら、その後はもう勝手にしろよ」
「はい!」

 少女は嬉しそうに笑って、イェンの腕を解放する。いや、本当に人質に取られている気分だった。盗人が腕を骨折なんてシャレにならない。
 肩にさげていたマントを、少女の肩にぐるりと巻き付ける。ボロボロのまま連れ歩いて妙な趣味だと思われるのも不名誉だ。イェンの服も綺麗とは言いがたいが、むき出しの太ももは覆い隠せるだろう。
 とりあえずまずは服屋。それから、一食くらいならおごってやってもいい。自分で食いぶちを稼がなければならないとはいえ、すぐに倒れられても目覚めが悪い。

「この後は、すぐに街を出るおつもりですか?」

 少女はイェンに並んで歩きながらそう言った。
 珍しげに周囲を見回して、仕草だけなら都会に出てきた田舎者という風だ。ずっと、この街に暮らしていたのだろうに、本当に出してもらったことがなかったらしい。奥歯を噛んで、舌打ちをひとつ。少女が不思議そうに首を傾げる。

「お前には関係ない」
「どうしてです?」
「あのなぁ。この後誰に追われるかもしれねえのに、そうホイホイ情報をやる訳がねえだろうが」
「……なるほど。盗人の心得ですね」

 メモでも取り始めそうな勢いで、ふんふんと少女は頷く。
 こいつまさか盗人になるつもりなのか、とイェンは思ったが、身寄りのない無一文の女が生きてく手段などそうはない。盗人ならまだマシな方かと無理矢理納得して、煙草を地面に投げ捨てる。
 だから、解放した奴隷と話なんかすべきではないのだ。
 諦めなくてはならない。全てを救うことなど、イェンにはできはしないのだから。

「私も、しっかり心得を身につけなければなりませんね!」
「……案内の間に、聞かれたことなら教えてやる」
「はい!」
「本当は、俺の知り合いに預けられたら良かったんだろうがなぁ」
「え?」

 だから、話なんか、すべきではないのだ。
 少女は苦い顔をするイェンの顔をじっとのぞき込んで、ぱちぱちと瞬いた。
 この街にも知り合いがいるにはいるが、みんな余裕があるとも、まともとも言い難い。何しろ流れ者の日陰者なのだ。
 この少女も、生き延びられたらきっとそうなるのだろうが、それでも。

「困ります」

 は? とイェンが首を傾げると、少女はまたがしりとイェンの手を握る。
 困ります。もう一度はっきりとした声で繰り返して、イェンの両手を抱くように胸の前で握りしめる。
 手のひらだからさっきよりはまだマシだが、かなり痛い。

「私、あなたについていくって決めたんですから!」
「はぁ?!」

 勝手に決められても困る。大体こいつ、さっき一時間で良いとか言っていなかったか?

「もちろん食いぶちは自分で稼ぎます。たくさんお役に立って見せます。恩を仇で返すような真似は誓っていたしません!」
「いや、あの」
「屋根裏で旦那様の商談を盗——いえ、お昼寝をするのが趣味でしたから金持ちの振る舞いには明るいですし、顔もまあまあかわいいので人の油断を誘いやすいでしょう。あ。必要であれば旦那様の交友関係もご提供できますよ。宝石狂いの方もたくさん存じています。それから、奴隷の割に字が読めるんですよ、私。きっとお役に立ちます!」
「……お前はもう奴隷じゃない」

 流れるようにそう言う少女を前に、イェンは一体何をどう言って良いか分からず、とりあえずはっきり否定しておくべき所だけを口に出す。
 何も言えないイェンの前で、なんだかとんでもないことを言い切った少女は、きょとんと首を傾げて、そうして、花が咲くように笑う。

「全くその通りですね!」

 それがあんまり嬉しそうだったので、イェンはため息をついて歩き出す。片手は解放されないが、少女は機嫌良さげにおとなしくついてきた。お手々繋いでお散歩みたいな画でも、腕が折られるよりはまだマシだ。それにしても握力が強い。

「大体お前、今日泊まるところもねえだろうが。俺は宿に帰るぞ」
「ええ、大変心苦しいのですが、まずは宿の取り方から教えていただかなくてはなりませんね。買い物の仕方も曖昧ですし、忙しい一時間になりそうです」
「服は買ってやるが、それ以上やってやる気はねえぞ」
「とんでもありません! 服だってもちろん自分で買うつもりです!」
「は?」

 少女は元奴隷である。
 髪に隠れているが、切り込みの入った耳がその証。
 賃金も物資も自由も与えられず労働させられるのが、奴隷という生き物のはずだ。本宅に盗みに入った帰りに厩で少女をさらったのだから、少女があの屋敷で何かを盗むような時間などなかったはずだ。

「……どういうことだ?」
「白馬の王子様をご存じですか?」
「…………待て、本当にどういうことだ?」
「女の子の元にはいつか白馬の王子様がやって来る——そう、本に書いてあったので、私、いつ王子様がいらっしゃっても良いように、日頃から旅立ちの準備を整えていたので」

 だから、そうですね、このくらいは手持ちがあります。
 なんでもないように少女が広げた布袋をのぞいて、イェンはそっと目を閉じる。イェンが数ヶ月分の生活資金として盗み出した金の、軽く数倍はある。
 旦那様の目を盗んで、藁の影に隠してございました。裏庭の分が回収できなかったのは心残りですが、そちらは保険のつもりでしたので。誇らしげにそういう少女は、確かに盗人の才能があるのだろう。

「そうしたら、本当にあなたがいらっしゃったので、運命だと思いまして!」
「確かに馬には乗っていたが、あれあの屋敷の馬だぞ」

 敷地が広かったので、馬を拝借した記憶はある。白、だったかもしれない。そんな細かいところまでいちいち覚えていないが、王子じゃなくて盗人である。

「関係ありません! 私を連れ出してくださったのですから!」
「まあ、連れ出した……けどな……」

 天才盗人の卵かと思いきや、ものすごい馬鹿かもしれない。いや、才能があるのは間違いないが、詐欺にでも遭ってすぐにすっからかんになりそうだ。
 だんだん、心配になる。なまじ心配になるくらいの金額を持っているだけに。

「……いや、でもな」
「案内を終えたら勝手にするようにと仰せつかっております」
「そういう意味じゃない」

 少女はにこりと笑って、繋いだ手をぶんぶんと振る。

「でも、私はもう、自由なんですから!」

 振り回された手が痛くて、マントのない肩が肌寒くて、少女の言動は全然意味が分からない。
 それでも、笑った少女が幸せそうで、見上げた空がこんなに青くて、ふたりはこんなにも自由だから。
 柄にもなく泣きそうな気持ちでうつむいて、イェンは口を開く。

「勝手にしろ」

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