窓の外が眩しい。
映写機のようにぱらぱらと流れていく田畑と、たまに現れる大きな道路。どれも日差しを受けて目に痛いくらいに眩しく、対照的に車内は薄暗く冷たい。
途中の新幹線は死ぬほど混んでいたけど、こんな田舎まで来るとお盆でもがらがらだった。見える範囲には、小さな女の子が一人、リュックを抱えて座っているきりだ。
女の子は、ぱんぱんに膨れたリュックを律儀に抱え込んでいる。親の姿が見当たらないが小学生くらいだろうか。一人でおばあちゃんの家にでも行くのかもしれない。
私があの子くらいの頃、夏休みにはおばあちゃんの家に行くのだと、毎年嘘をついていた。どうして嘘をつくようになったかは覚えていない。日に焼けた顔で、おばあちゃんの家に行ったと笑う友達が、うらやましかったのかもしれない。
私の想像のおばあちゃんは、田んぼばかりの田舎に住んで、軽トラックを乗り回し、畑を二つ世話している。おしゃれなお菓子は一つも作れないけれど、畑で取れた野菜をいくらでも振る舞ってくれた。
女手一つで私を育てる多忙な母は、一緒には行けない。私はいつも一人だけで電車を乗り継ぎ、おばあちゃんの住む田舎へ向かう。おばあちゃんは汚れた白い軽トラを駅に乗り付けて、電車が着くずっと前から私のことを待っている。電車は遅れることはあっても早く着くことはそうそうないのだと言っても、万が一あんたを待たせることになったら大変だからと取り合ってもらえなかった。
これでも食べておいで、と差し出されるのは決まって白い砂糖のついた生姜糖で、私はそれが苦手だった。今もあまり好きじゃないけど、なんとなく懐かしい気がして、見かけるとつい買ってしまう。
おばあちゃんに会ったこともない子供の考えた「おばあちゃんち」だ。嘘がばれそうになることももちろんあった。
そのたびに慎重に下調べし直し軌道修正を重ねて、私はおばあちゃんの設定を作りこんでいった。
背は百五十センチくらい。しわだらけの顔は優しげで、笑うと目がくしゃくしゃになる。旦那さん、つまり私のおじいちゃんには、私が生まれる五年も前に先立たれている。
住んでいる場所はざっくりと住所を決めてグーグルマップで確認し、家の間取りも図に起こして覚え込む。畑で作っている野菜はあえて決めなかった。きちんとした農家は引退して、今は直売所で売る分と自分で食べる分だけをのんびり作っている設定だからだ。
インターネットと本を駆使して地域について調べるのはもちろん、ニュースを追うのも忘れない。ある程度大きくなってからは実際に行ってみるようになった。夕立が来たことや新しくできた店の話なんかができると、一気にリアリティが増す。
泊まるところはないので辺りをひたすら歩き回り、できるだけ道行く人に声をかけて、許されれば墓参りも手伝った。方言を聞くためだ。イントネーションは、本で調べるだけでは十分には分からない。墓参りの方法も勉強になった。お盆におばあちゃんの家に行っていたなら、当然墓参りも手伝っていたはずだ。
友達と話す上でも手は抜かない。夏休みに限らず度々遠方に住むおばあちゃんの存在を匂わせ、「おばあちゃんの家に行く」ためにお泊まり会の誘いを断ることさえあった。だって、一年に一回しか会えないのだ。会いに行くのを遅らせたり、ましてや断ったりしたらかわいそうだ。おばあちゃんは、私と会うのをとても楽しみにしている。一番の楽しみだよと言ってくれる。
そうやって「おばあちゃん」の存在は、着実に私に根付いていった。途中でおかあさんにばれて気味悪がられても、全く気にならなかった。
だっておばあちゃんは、いつでも私を待っていてくれる。
アナウンスが流れる。
女の子は、ポケットから取り出したメモを何度も確認してから立ち上がった。
女の子が降り た駅には茶色いスーツの老紳士が彼女を待っていた。女の子が誇らしげに笑う顔を、自動ドアが遮る。
車両には、私一人きりだった。
薄暗い車内と、目の痛くなるような明るい田園風景。
おばあちゃんの話を人にすることがなくなってからも、私はこうして、お盆になると電車に飛び乗る。
私は一体どこへ向かっているんだろう。
電車はゆっくりとトンネルへ向かい、やがて田畑の一つも見えなくなった。
おばあちゃんの幻の話
カテゴリー: 小説